マリア・ローレンス(スミス・『ヤング』・バビット)
ジョセフ・スミスの25番目の妻
カナダで生まれ、両親が改宗したが父親が多額の財産を残して死亡する。その後、ノーブーへ引っ越してきたがその財産をジョセフ・スミスにネコババされた。ジョセフはその金でエマの名義で土地等を買ってしまう。ジョセフの家に住んでいる時に妹のサラと共に彼の妻となる。彼の死後、マリアたちにお金を工面して返してくれたのはモルモン教会から破門されたウィリアム・ローであった。
後にブリガム・ヤングと結婚したらしいが、してないという説もある。していたとしても、1年半後には離婚したことになる。モルモンのバビットと再婚したからだ。
ノーブーに住む。バビットは多妻婚をした。が、モルモン教が正しい宗教なのか悩み、疑いや恐れのあまり、心の病気になって死亡したとも言われている。
生い立ち
●1823年12月18日にカナダのオンタリオに生まれた。他に6人の兄弟へいた。父エドワードは裕福な農夫だった。
●子供の時に両親がモルモンに入った。ローレンスの納屋でで総大会が行われた。
父の死と財産をめぐっての争いの始まり
●1840年3月、17歳の時に父エドワードが死亡。たくさんの財産を残して。家族はノーブーに引っ越した。
ジョセフ・スミスが財産の一部を管理する保護者になった。ウィリアム^ローとハイラムが保証人となった。
●母マーガレットがモルモンの男性、ジョザイア・バターフィールドと再婚し、ジョザイアはジョセフから財産権を自分とマーガレットに譲ってくれと言い始め、ジョセフとジョザイアの間に言い争いが起き始めた。
●このまっただ中で、マリアとサラはジョセフの家に住み始めた。
予言者との結婚
●1843年に19歳でジョセフと結婚した。
この後、ジョセフはエミリー・パートリッジとエライザ・パートリッジと2回目の結婚式をした。1回目はサラとマリアと結婚する前にしたが、ジョセフはエマにこれを内緒にした。エマがこの4人をジョセフの妻として選び、結婚を認めた。
この時になってやっと、ジョセフはエマに多妻婚をすることをエマに説得させた。しかし、エマが選ぶという条件つきであった。
●1843年3月28日、ジョセフは「教会歴史」にこう書いている。
「ジョザイア・バターフィールドが私の家に来てものすごく怒って私をののしったので、私は彼を家から通りと追い出した。」
ノーブー・エクスポジターとその破壊
●ウィリアム・ロー、ジョセフの第2副管長だった人物がジョセフの下を離れた。(ウィリアム・ローの妻も又、ジョセフから結婚のプロポーズを受けましたが、彼女はこれを拒否したそうです。グラント・パーマーがそのように書いています。)
ウイリアムは、ローレンス家族がバプテスマを受けた時から彼らを知っていた。
彼は、5月23日にジョセフ・スミスを起訴した。罪状は、
「ジョセフはマリアとサラとオープンに不倫を行っている」だった。
●これに対し、5月26日にジョセフはこう言った。
「なぜ私には妻が一人しかいないのに、7人もの妻がいると姦淫の罪で訴えられなければならないのでしょう?」
"What a thing it is for a man to be accused of committing adultery, and having seven wives, when I can only find one."
(ジョセフは本当にこのようにウソをついたのです。私も初めは信じられなかったのですが、教会歴史ボリューム6:411ページにそう書いてあります。これは教会の正式な文書です。)
●ジョセフとその取り巻きたちは、ウィリアム・ローに仕返しした。
ウィリアムを、マリア・ローレンスを中傷したとして、訴えたのである。
●6月4日、ジョセフは日記にこう書いている。
「テイラー、バビット、ハイラム、リチャード、ウッドウォースとフェルプスと共に、ローとフォスターがマリア・ローレンスを中傷したことについて相談した、、、、。」
●1844年6月7日に、ローと彼の仲間たちはノーブー・エクスポシター(Nauboo Expositor)という新聞記事を公表した。この中で、ジョセフ・スミスを一夫多妻をし
ているとして公に非難した。
●ジョセフと彼に従う者たちが新聞を印刷する印刷所を焼き払った。
この罪でジョセフは逮捕され、投獄された。
●1844年6月27日、ジョセフは殺された。
アメリカの法律では一夫多妻は違法だった。であるからして、ジョセフは公の場で、これを否定するしかなかったのである。
現実には、30人もの妻がいて、これを永遠に秘密にすることなど到底不可能だとジョセフはわかっていたにちがいない。よって、こればバレたときには、ウソをつくしたかないと。
半世紀後、モルモンリーダーたちも、マニフェスト(多妻婚をやめると宣言したことと)を発表した後、ジョセフと全く同じジレンマに悩まされることになる
。
●この後、マリアとサラはイリノイ州クインシーで帽子屋さんで働いた。
●1844年10月12日にマリアはブリガム・ヤングと結婚した。この時、ブリガムには既に15人程の妻がいたらしいが、そうではないと主張する人もいる。いずれにせよ、もし結婚したとしても、1年半後にはブリガムと離婚したことになる。なぜならマリアはバビットと結婚したからだ。
消えてしまったローレンス家の財産
●アーモン・バビットという人がローレンス家の次の後見人となった。
ウィルヘルム・ウィルという人がウィリアム・ローに後でインタビューをしている。内容は次のようである。
「マリアとサラはイングリッシュ金貨で8000ドルの価値のある財産をもって来た。ジョセフがこの後見人となった。、、、ジョセフの死後、バビットが後見人となり、エマに記録を見せてもらって調べた。すると、ジョセフがマリアとサラの宿賃と福を買う費用として3000ドルを差っ引いていたことがわかった。
だから、5000ドルはマリアとサラのものである。バビットは誠実な良い人物であったが、どこを探しても残りの5000ドルを見つけることが出来なかった。」
これに対して、モルモン信者でリサーチャーのゴードン・マドソンが異議を唱えている。マドソン氏は、ローレンス家の財産は8000ドルではなく、4000ドルだったと主張し、ジョセフはお金をネコババして利益など全く得ていない、と主張する。
(このインタビューはトッド・コンプトン氏の本ではなく、ネットでブライアン・ヘールという人の記事からとりました。ヘール氏は活発なモルモン信者の歴史家です。
ヘール氏もジョセフはネコババしていない、と主張したいが為にマドソン氏の主張をここに載せたものと思われます。しかし、後にバビットは7750ドルを請求していますし、カートランドの銀行を破たんさせた事例もありますから、やはりジョセフ・スミスがネコババしたと私は考えます。)
さて、ジョセフの土地などは全てエマの名義になっていた。よって、これをエマに返せ、と言うことは出来ない。
それで、バビットとローレンス家の人たちはウィリアム・ローとハイラム・スミスの未亡人メリーにお金を返してくれ、と迫った。ローとハイラムが保証人だったからである。
BYU図書館に保管されている法律上のドキュメントがある。
1845年9月1日、バビットとローレンス家の子供たちがウィリアム・ローとジョセフの財産管理者だったJ・W・クーリッジとハイラムの妻メリーを訴えた。
7750ドルを要求したのである。
●ローレンス家の子供たちにエマは全くお金を返さなかったので、ウィリアム・ローがこれを払った。
●ローはジョセフとエマを、ローレンス姉妹の金を盗んだ、と言ってせめているが、恐らくエマはジョセフよりは責められるべきではないだろう。
ジョセフが生きている間にローレンス家の金で土地を買ったのだろうから。
それに、ローレンス姉妹と自分の夫の結婚もいやいやながらだったのだし。
バビットとの結婚
●バビットと結婚した。夫バビットはデルセナ・ジョンソンとジュリア・ジョンソンとメリー・タリーと同じ日に結婚した。バビットの子を一人産んだ。
●夫バビットがノーブーに残る様にと指示を受けたので、一緒にいたからユタへは行かなかった。1848年まではそこにいたが、25歳で死亡する。
●メリー・B・ノーマンという、サミュエル・スミスの娘がマリアについてこう書いている。
「マリアは病気で死んだと言われているけれど、心が病んでいたと思います。
私のおばさんのルーシーがマリアを訪ねていったけど、かわいそうだったと言っていたわ。マリアはこう言ったんですって。
『もしモルモン教会に少しでも真実があったのなら、私は救われます。
私の試練は辛いものでした。』
彼女の苦悩がなにによるものだったか私にはわかりません。
彼女は正しいことをしたいと望んでいたので、自分の行動がそうかどうか悩んでいたわ。疑いや恐れがあったようだったわ。」
●私の感想
ジョセフは、ウソつきで、どろぼうだったんですね!そしてウィリアム・ローのことをひどい人みたいにして訴えたとは、こんなひどいことしたとは、ひどすぎます!
マリアはモルモンが訴え合うのを見て、自分もその中にいて、これが本当に神の教会なのかどうか悩んだんですね、かわいそう。
私がモルモン教会で習ったジョセフは、愛があって、誠実で、弱点はあったとしても他人を傷つける人ではありませんでした。だから、彼は実はウソをついてしまったり、人を訴えたり、いろんな人からお金を出させたりしていたと知って本当にショックです。なぜ教会はこのようなことをきちんと教えてくれないのでしょう?プライマリーで散々、正直になりなさい、盗んではいけない、許してあげなさい、と言いながら、教会は私に都合の良いことだけを教えてきたという事実が、本当に悲しいです。
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