サラ・アン・ホイットニー(スミス・キングスベリー・キンボール)
ジョセフ・スミスの16番目の妻。
唯一の 「結婚のふり」をした女性。夫役のキングスベリーはサラの実の叔父さんで、“front husband”日本語では 「表向きの夫」と呼ばれた、この本の著者のトッド・コンプトンによって。
ヘレン・マー・キンボールと仲良し。後にヘレンはサラ・アンの兄と結婚し、サラ・アンは何と、ヘレンの父親と結婚する。5人の子供を育てた。
生い立ち
●1825年3月22日生まれ。ニューエル・K・ホイットニーの娘。母エリザベスも熱心なモルモン。12人兄弟の2番目。家族でモルモンに入った。
●兄のホレイスと大の仲良し。ホレイスはサラ・アンを一生守った。
●ヒーバー・C・キンボールの娘、ヘレン・マーと仲良し。ヘレンもジョセフの妻になる。
●ジョセフ・スミスとエマが家に来てしばらく住んだ。ここでジョセフは後に教義と聖約に書かれる啓示を受けた。
●父はたくさんの伝道へ行った。教会の店をきりもりすることも頼まれた。
夫婦ともに貧しい人によく施しをした。
ジョセフの建てた銀行
●1837年1月、父はジョセフの建てたカートランド安全協会の創立会員となった。そして多くの人々を経済的災難へと導くことになる。後にこの銀行はつぶれ、多くの人から訴えられることになるからだ。こうしてモルモン教会では内部で離反者が続出した。結果、ジョセフは信じる者たちに、オハイオを離れてミズーリへ行くようにと促した。
●母のエリザベスは扶助協会でエマの第2副会長を務めた。彼女は又、癒しの力も持っていた。
●1838年7月8日、ジョセフは啓示を受け、ニューエル・ホイットニーに教会の資産を売るようにと指示する。そして借金を返済し、新しいシオンに集合するようにと。
予言者との結婚
●ジョセフがサラ・アンを妻にほしいと言ってきた。はじめ、両親は反対したが、ジョセフに祈れば答えがくる、と言われて祈った。母エリザベスは書いている。
「主人と祈っていると、光の輪が私たちを囲み、神が祈りを聞いてくださったとわかりました。慰めを受け、完全な信仰を持ち、まだ当時17歳だった娘を喜んでジョセフに捧げることを決めました。今まで教わった結婚に関してのモラルにとらわれることなく、娘を差し出しました。」
●1842年7月27日、17歳でジョセフと結婚した。父と母の前で。これは明らかにジョセフとホイットニー家を結びつけるものだった。この世と永遠の両方の結婚だった。つまり、肉体関係も持つ、ということである。
●ジョセフは父ニューエル・K・ホイットニーに、これで彼の家族は永遠の命を与えられる、と言った。
●「しかし、ジョセフはサラ・アンの兄、ホレイスが反対するのでは?と心配して、ホレイスを伝道へ送った。」と記録されている。
エマに内緒で密会
●結婚1か月後、ジョセフ・スミスが書いた手紙はこうだ。エドワード・セイヤーズの家からカルロス・グランジャーズの家へ移った後。
「1842年8月18日、ノーブーにて。親愛なるホイットニー兄弟と姉妹、そして &C、この手紙に私の気持ちを、密かに、つづりたい。
しかし、これは一生、あなた方の心の中に閉まっていてほしい。」
ここでジョセフはサラの名前を書いていない。とても慎重だ。
「結婚してから、私のあなた方への気持ちはとても強く、あなた方と離れている時間があまりにも長く、もの寂しく感じるのです。
このままでは長く生きられないとさえ、感じるほどです。もしあなたたちが寂しく隠れ家にいる私に会いに来てくれれば、私はとてもホッとするでしょう、、、私は今、カルロス・グレインジャーの家にいます。3人で、夜、来れれば来てほしいのです。
ホイットニー兄弟がまず来て、家の南東のコーナーの窓をノックしてください。ここはコーン畑の隣にあります。
そこに私専用の部屋があります。でも、全ては完全に安全だと確認してからでなくてはいけません。私がこうして苦しんでいる時にあなたが私を慰めるのは神の御心だと知っています。
今でなければ他の時などない、でも、こんなことをあなたに言う必要はありません。あなたは良い心を持っていると知っているからです。
あなたが主の御心を行うと知っています。
気をつけなければならないのは、いつエマが来るか、です。もしエマが来たら、あなた方は安全ではありません。でも、エマがここにいなければ、完全に安全です、、、、、。
これでエマがサラ・アンとジョセフの結婚について知らなかったのは明らかである。
「出来るだけ、誰にも見つからない様に来てください。大胆なことを頼んでいるのは承知しています、でも、私たちは友としてさらに強く結ばれ、喜びも大きい。
あなた方にお会いしたら、私は全ての計画を話しましょう、これを紙に書き残すことは出来ません、読んだらこの手紙を直ちに焼き捨てなさい、全ては胸の中にしまっておいてください。」
私の命があなたたちにかかっているのです。わかってください、私の完全な祝福があなた方と &C の上にあることを。」
「、、、、エマは今夜は来ないと思う、もしそうなら、必ずあなた方は来てください、、、、。」
モルモンのリーダーはホイットニー家の人たちを難しいシチュエーションに追い込んでいる。エマの動きを教え、彼女を避けて密かに彼に会いに行く、という使命を与えたのだ。この手紙にある、スパイ的なフインキは、ノーブーの一夫多妻において、当たり前のことだった。
●3日後、1842年8月21日、ニューエル・ホイット二ーと妻のエリザベスは永遠の結婚とこの世の結婚をした。
●エリザベスが言っている。
「ジョセフは、何度も、ニューエルに、他にも妻を、又は複数の妻たちをめとるようにと言いました。」
しかし、ニューエルはこのことには非常に慎重で、多妻婚を軽々しくは思っていなかったため、ジョセフが生きている間はエリザベス以外の妻はめとらなかった。
●1843年3月23日、ジョセフ・スミスはもぅ一度サラ・アンに手紙を書いた。
内容は、もしアンが終わりまでこの新しく永遠に続く結婚の契約を守るならば、アンとその家族は同じ永遠の栄光の中で救われるだろう、というものだった。
そして、もしこの群れからさまよい出たとしても、悔い改めれば完全な栄光の冠を受けることが出来る、としている。
ウソの結婚をする
●1843年4月29日、サラ・アンはジョセフ・C・キングスベリーと結婚した。
ジョセフスミスが式を執り行った。これは法律にかなった、市民結婚だった。
ジョセフ・キングスベリーは1812年生まれ、ニューエルの店で働いていた。
ニューエルの妹キャロラインと結婚していたので、実際のところ、サラ・アンのお じさんだった。
しかし、彼の妻キャロラインは既に死亡していた。キングスベリーはジョセフ・スミスの忠実な部下。
この結婚に携わった人たちにとって、この結婚は本当の結婚ではく、
ジョセフ・スミスが提案しただけのもので、ジョセフ・スミスとサラ・アンの関係 を隠すためのものだった。
ジョセフは、自分が真の権威によって、神聖化したものにより、行われたものでな い民事上の結婚や契約は、どんなものであれ、大した意味を持たないものとみなしていた。
今回のケースほど、彼のこの考えを反映している実例は他にないだろう。
●キングスベリーはこう書いている。
「1843年4月29日、予言者ジョセフ・スミスと他の人たちが、サラ・アン・ホイットニーの横に立ち、結婚の“ふり”をすることに同意した。
予言者イザヤ、エレミヤ、エゼキエルとジョセフ・スミスによって話された通りに、神の目的を末日に世に出す為に。
サラ・アンは大きな栄光のほまれと永遠の命を得、私も又、大きな栄光のほまれと永遠の命を、私の望むままに、私の亡き妻、キャロラインを私のものとして要求すれうことが出来る、誰もキャロラインを私から奪い去ることは出来ない、そして私とキャロラインはともに日の栄えの王国で王冠をいただくことが出来る。」
●サラ・アンとキングスベリーは姪と叔父の関係にあった。親しかっただろうが、
結婚式を挙げて 夫婦のふり をしていたけれど、肉体関係にはなかった。
●サラ・アンはジョセフと結婚した後もジョセフとは住まずに自分の両親と住んだ。
●1843年6月27日、サラ・アンが19歳の時、ジョセフ・スミスは死んだ。
●7月23日、キングスベリーはニュー・イングランドへ伝道へ行った。
●1845年3月4日、キングスベリーはヒーバー・C・キンボールによって、最初の妻、キャロラインと永遠の結婚をした。ドーカス・モアが代理人となって。そしてドーカスとも、この世並びに永遠の結婚をした。サラ・アンは出席していない。
ヒーバーとの結婚
●1845年3月17日、20歳のサラ・アンは、43歳のヒーバー・C・キンボールと結婚した。しかし、この結婚も秘密であり、相変わらずサラ・アンは叔父のキングスベリーの妻として振舞っていた。ヒーバーの子供を5人育てた。何人かは亡くしたが。ヒーバーは何と、ノーブーを出る前に39人の女性と結婚した。
ヒーバーはしょっちゅう、サラ・アンを引っ越しさせた。他の妻たちと住んだ。
それでも、ヒーバーはサラ・アンを一緒にいろんなところへ連れて行ったので、他の妻たちよりは一緒に時間を過ごしたのだろう。
バイレットにはかなわなかったが。
●ヒーバー家とホイットニー家は仲が良かったが、この結婚によって更に強い結びつきを持った。
●後に父親のニューエル・K・ホイットニーは多妻婚に踏み切った。
1845年2月24日、エメリン(後にエメリン・ウェルズ)という扶助協会の会長とと結婚した。同じ日に、、他に6人の女性といっぺんに結婚した。
●44歳の時、夫ヒーバーは死んだ。
●48歳で病死。
私の感想
サラ・アンは自分の親友のお父さんと結婚したって?23歳も離れてるのに?ちょっとめちゃくちゃだと思います。考えただけで気持ち悪い。
17歳でジョセフと結婚したのだから、同年代の男性とダンスに行ったり、デートすることも一生涯なかったのでしょう。かわいそうです。
ジョセフが結婚のふりをさせたのもめちゃくちゃだなー。
銀行を倒産させるという、大失敗をしておきながら、よく、「私に従えば天国に行ける」と言えますね? でも、そんな人について行ってしまうサラ・アンのお父さんたちにも驚きです。1度マインドコントロールされると、なかなか抜けられないのかな。
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