ジェラルド・タナーとサンドラ・タナー ジェラルド・タナー

②ジェラルド・タナーとサンドラ・タナー ジェラルド・タナー Jerald Dee Tanner (June 1, 1938 — October 1, 2006) アメリカユタ州プロボに生まれた。モルモンの5世代目。ひひおじいさんのジョン・タナーは、教会が経済的に窮地に陥った時にたくさんのお金を出して助けた人物。 サンドラ・タナー Sandra McGee Tanner (born January 14, 1941) 2代目大管長ブリガム・ヤングのひひ孫。 2人は、末日聖徒イエス・キリスト教会の歴史についての本を出版した歴史家、研究家。Utah Lighthouse Ministryを開いた。この目的は、、モルモン教会の初期に書かれたモルモン書や教えを公表し、今と内容がどのように変わってしまったかを示すことと、モルモンの原則とクリスチャンの原則の違いを比較することである。 ●ジェラルドがモルモニズムからクリスチャンに改宗する ジェラルドは若いとき、酒飲みで不活発会員だった。 18歳の時、監督に呼ばれてそろそろ伝道へ行く準備しなくちゃ、と言われたのがきっかけで、教会について真剣に勉強し始める。 そして、RLDSの存在を知り、ソルト・レークのRLDS教会へ行って話を聞いた。ところが、ブリガム・ヤングがしたひどい説教の内容をRLDSの牧師からたっぷり聞かされる。血の贖罪、アダムは神だという説、一夫多妻した人だけが昇栄出来る、など。 そこでRLDS信者で床屋のジェームズに会う。Messenngerや、Times and Seasons、古いモルモン書などを持っているこの人は、デビッド・ホイットマーのパンフレットをジェラルドに渡した。「モルモン書は真実だが、ジョセフ・スミスは堕落した予言者だ、彼は教義と聖約の啓示を書き変えた」とホイットマーは書いていた。これは事実なのか?真実を追い求め、ジェラルドは車でミズーリへ向かった。そこで、 ピーター・ホイットマーの孫であるという老人婦人と出会う。彼女は幼いとき、デビッド・ホイットマーがパンフレットを書いていたのを覚えていた。 ジェラルドはいろいろなモルモンの分裂宗派を訪れた。そして、Temple Lot Church of Christで、教義と聖約のオリジナル版であるBook of Commandment(1833年頃に出版された)を見せてもらい、今の教義と聖約と見比べた結果、デビッド・ホイットマーの言う通りだと知る。例えば、オリジナルの版には、「ジョセフ・スミスの使命はただ一つ、モルモン書を世に出すことだ」とあるのに、1835年にジョセフは、ただ一つではなく、「最初の使命」と書き変えてしまった。更に、オリジナル版には神権について何も書かれていない。 ジェラルドは、そのうちChurch of Christ Book of Mormon グループの集会に集うようになる。このグループは、Temple Lot教会とRLDS教会にもともといたが、聖書とモルモン書だけを信じるようになった人たちだった。モルモン書以外のモルモンの教えは全て捨てた人たちで、プロテスタントに近い考えを持っていた。何週間かこのグループに集ったジェラルドは、神殿や伝道は救いに必要ない、キリストに従うことだけが大事だと思うようになる。 そしてユタに戻った彼には、サンドラとの運命の出会いが待っていた。 ●フォーン・フローディ の暴露本の影響 サンドラは、家族の中で一番熱心なモルモン信者だった。 家族が教会をさぼってビーチへ遊びに行く時も、サンドラは教会に行きたい、とみんなを困らせた。ところがそのうち、 サンドラの母親がフォーン・ブローディ(Fawn Brodie)の本「No Man knows my history」を読んで疑問を抱き始める。 デビッド・O・マッケイの姪という肩書をを利用し、普通のモルモン信者には閉ざされた過去の記録を手に入れたブローディは、ジョセフが失敗ばかりしている宝探し屋であったことなどを暴露した。このため、1946年に教会はブローディを破門した。信者たちは彼女の本を読んではいけない、と警告されたが、かえってこれが皆の興味をそそることとなった。 彼女が本の中で引用した幾つもの文書が、後に教会に疑問を持つモルモンたちに真実を知るカギを与えることとなる。 こうしてブローディの本に影響を受けた母は、娘のサンドラにセミナリーやインスティチュートで先生に様々な質問をするようにと頼む。しかし先生たちは答えられず、教会に入ろうとしている子供たちの信仰をぐらつかせるので困る、質問をしないように、とサンドラを注意した。 ●サンドラとジェラルドがともに研究を始める Journal of Discoursesに、ブリガム・ヤングの説教がたくさん書いてある。ここには、多妻婚をした人だけが昇栄するとか、アダムは神だとか、南北戦争は奴隷制度を開放しないとか、血の贖罪について書かれている。サンドラはこれにショックを受けた。なぜなら、彼女はブリガムの直属の子孫で、ブリガムについて素晴らしいことしか教えられて来なかったから。彼女の家系では、ジョセフ・スミスよりブリガムの方が偉大だとみなされてきた。 ●教義と聖約は多くが変えられてしまったことを知る 母親とサンドラは、教義と聖約のオリジナルでBook of Commandmentと呼ばれた本と現在の教義と聖約を読み比べて、多くの箇所が変えられ、付け加えられていることに気づいた。長年、聖書は多くの箇所が変えられ、付け加えられたので正確でない、と教えられて来たのに、教義と聖約も同じだったとわかり、愕然とする。 ●結婚 ジェラルドとサンドラはモルモン書は信じていたが、他は間違っている、という結論に至った。 こうして2人は会ってから2か月半で、カリフォルニアでプロテスタントの牧師さんの下で結婚式を挙げた。 ●サンドラの除名と法廷への召喚 サンドラは教会から除名したいと監督に頼んだところ、裁判するから来るようにと呼び出された。そこには、監督、2人のカウンセラーと書記がいた。サンドラは何冊かの本を持って行き、なぜ自分が教会から除名したいか説明しようとしたが、監督は全く興味を示さず、こう言った。 「タナー姉妹、教会が裁かれているのではありません、あなたが裁かれているのですよ。(The Church is not on trial. YOU ARE!)我々は、ただ、あなたがジョセフ・スミスが予言者であることを信じているかいないかを知りたいだけです」。 「信じていないから除名してほしいんです」とサンドラは言った。 その後、ソルト―レークへ引っ越し、ジェラルドも除名した。 ●ジョセフ・F・スミスから、不親切で心無い対応を受ける サンドラの母親とおばさんが最初の示現の問題について話し合っている時、サンドラの監督がこう提案してきた。「手紙を書いてみたらどうだろう?質問を一つにしぼって書いてくれたら、僕がそれをジョセフ・F・スミスに送るよ。」 ジョセフ・F・スミスは12使徒で歴史家だった。 そこで、最初の示現について質問した。 サンドラの母とおばさんは、アンドリュー・ジョンソンという、初期の時代のモルモン歴史家が書いた記録を手に入れて読んだ。そこには、ジョセフが森へ行って祈ったら天使が現れた、と書いてあった。おばさんは、同じ本だけどもう少し後に書かれて出版された改訂版を買った。ら、そこには、天使じゃなくてイエス・キリストが出てくる話になっていた。 この後、教会はジョセフは森でイエスと神に会ったのだ、と教え始める。 サンドラは手紙にこう書いた。 「ジョセフが最初の示現について一番初めに書いた、手書きの日記を見せて下さい。」 ジョセフ・F・スミスは返事をくれたが、この天使はモロナイだ、と書いてきた。それだけでなく、教会の敵にそそのかされて質問しているとか、それを悔い改めろとか言ってきた。 サンドラは、モロナイであるはずかない、と、納得しなかった。 ●グランド・リチャードから愛のない対応を受ける サンドラの母は12使徒のグランド・リチャードとサンドラが会えるようにアポをとった。 でもその前に、グランド・リチャードは、「自分のひいじいさんはジョセフの親友で、ジョセフは森で神とイエスに会ったとひいじいさんに言ったから、ひいじいさんはすぐに家に帰ってそれを書き留めた。間違いないよ、君たち、何にもわかってないね」と言ってきた。それでも、サンドラはその手書きの文を見さてほしい、と頼んだ。グランドは、私のオフィスに来れば見せてあげよう、と言った。 オフィスに行くと、グランドは小さな抜粋用紙を取り出して、ほら、と見せたが、2行くらい書いてあるだけのタイプした紙だった。 ジェラルドは、「ちゃんとした文書を見せて下さい」と言った。 すると、グランドは怒りだして、面倒くさいことにつき合ってやったのに、とか、君たちは問題児だ、なぜこんな質問するんだ?と尋ねだした。 ジェラルドが説明するには、「僕は以前、酒飲みで、不活発なモルモンだった、バカなことやってた、でも、ミズーリへ行ってある人たちに会って、イエスに自分の心を捧げ、生活が一変して、酒もタバコもしなくなった、神様がが僕の心に触れてくれた、だから、モルモンたちにもキリストについて、神の愛について話したいんです。」 その時、グランドはこう答えた。 「わたしはタバコなど、吸ったことは一度もない。」 これを聞いて、サンドラはこう思ったという。 「12使徒でしょ?若造のジェラルドが、自分の心をさらけ出して、心から自分の経験と気持ちを伝えたのに、言った言葉は、『私はタバコなど、吸ったことは一度もない。』だけ?」 ジェラルドは神の愛についてもっと話し、最後にグランドが 「一体、君はモルモンたちに何を伝えることが出来ると思うんだね?」と聞くと、 ジェラルドは「イエスへの許しと神の愛です」と答えた。 すると12使徒はこう言った。 「もし君が私たちより大きな愛を持っていると思うなら、君は頭がイカレてるよ!」 ここで最初の示現の文書を見せてもらえますか?と尋ね、グランドと一緒に系図ライブラリーを訪れた。途中で2人の女性スタッフとエレベーターで一緒になったが、この2人は12使徒のグランドに会えて気を失うくらい感動していた。サンドラは、心の中で、こう思ったという。「もし20分前の彼を見たら、あなたたち、同じリアクションはしないでしょうね。」 目的の部屋に着くと、現場はシーンと静まり返った。スタッフたちが、「まあ、12使徒よ!」「12使徒よ!」とささやいて驚いていた。 グランドはカタログをとって、ひいおじいさんの記録を出し、マイクロフィルムを出して「ここだ」と言った。 ジェラルドは、「ちょっと待って下さい、この文章は過去形になってますね。このページをひっくり返して、これがいつ書かれたものなのか、見せてもらえますか?日付を見たいので」(グランドは、ひいおじいさんがジョセフから最初の示現について聞いたすぐその日に、これを書き留めた、と言ったので本当にそうかジェラルドは確かめたかったのだ) と言ったら、グランドは怒りだして、 「こんな所まで連れて来てあげたのに、まだ満足しないというのか?君たちは真実を知りたいんじゃない、ただ問題を起こしたいだけだ!」 と言い、そこにいたスタッフに、この人たちがここへ又戻ってきても、今のを見せない様に。彼らはただの問題児だ、と言い残して去って行った。 後ろから、ジェラルドが、「なんで見せてくれないんだ!一体何を隠しているんだ!?」と叫び続けていた。 何日かしてサンドラはそこへ又行って番号を見せて、先日グランドが見せた文書を見たいと頼んだ。スタッフは、壊れてるから見せられない、と言った。数日後、同じ対応を受けた。それから1か月後に又来て、番号を見せたら、この番号はカタログから外されたから変だな、と思ってたのよ、でも、一度見たんなら又見せてあげるわ、と、文書を持ってきてくれた。 それは、1880年代、グランドのひいじいさんが書いた日記で、最初の示現でジョセフは神とイエスに会った、と書かれていた。 ということで、この頃には教会は最初の示現で神とイエスが現れた、と主張していたとわかった。 一番初めの方の1835年頃の記録には、神は出てこないけれどね。 実は、ジョセフ・F・スミスはジョセフが一番初めに書いた最初の示現の経験の記録を持っていたが、これには何と、「主」しか出てこないので、ジョセフ・F・スミスはこれを隠していたのだ。グラント・パーマーもインタビューでそう言っている。 2013年に、モルモン教会は遂にこの最初の、神が出てこない最初の示現の記録をインターネットに載せた。が、これを正当化する為に、ジョセフは神と会ったが、それを書かなかっただけだ、と言い訳をしている。 つまり、ジョセフ・F・スミスは、サンドラとジェラルドにウソをついた、ということになる。 そのうち、ジェラルドはモルモン書にも疑問を持ち始めた。 最後は2人ともモルモン書は昔の人が書いたものではない、という結論に至った。 ●Utah Lighthouse Ministryを開く 初めは発見したことをパンフレットに書いて無料で配っていた。これをやりながら他の仕事もするのは非常に大変だった為、ジェラルドは仕事をやめモルモン教会の昔の本新聞、雑誌を印刷して売る仕事を始めた。 Messenger and Advocate, Evening and Morning stars, Times and Seasons, Millennium Starsなどを扱い始めた。これを読めば、モルモンの歴史がわかる。どこから引用したのかわかる。本当の記録だとわかる。  後にNPOを立ち上げ、多くの非モルモン教会の牧師たちから援助を受け始めた。 決してもうかる仕事ではない。が、真実をモルモンたちに知らせたい、という気持ちで始めた仕事だった。本を売りながら、モルモン教会をやめた人の話を聞いたり、メールで教会の矛盾に関しての質問に答えたりしている。 ●1985年1月、ジェラルドがサラマンダーの手紙と1873年に書かれたとするマーティン・ハリスの手紙が本物だとは思えない、というコメントを公表した。どちらも教会がホフマンから入手した文書だった。 「Salt Lake City Messenger (SLCM)参照」 モルモン教会の歴史家はこれらが偽造だとする証拠はないと判断し、ヒンクリーはサラマンダーの手紙は偽造かもしれないが、本物かもしれないとコメントをつけて、チャーチ・ニュースに載せてしまう。 手紙の内容は、ジョセフに金版を渡したのは天使モロナイではなく、じつは白いサラマンダー(サンショウウオ)だった、というもの。後に、手紙は偽造されたものだとFBIの捜査でわかる。ヒンクリーたちは自分たちがだまされたことを認めた。 他にも、ホフマンが偽造したいくつもの文書をエンザインなどに5年間にもわたって載せてしまっていたからだ。 ジェラルドの方が、モルモン予言者たちよりも真実を見抜く力があったということになる。 ●ある時、サンドラとジェラルドは教会から訴えられた。 あまりにも多くの人が、教会から除名する方法を教えてくれ、監督に頼んでもなかなか除名してくれない、と言ってきたので、ジェラルドとサンドラは教会のハンドブックから除名のしかたを書いた部分を抜き出し、そのまま2人のウェブサイトに載せた。すると、ある日の11時ごろ、弁護士がやってきて、 「午後1時までに除名のしかたを君たちのウェブから取り去らないと、訴えますよ」と言った。それですぐにウェブから取り除いた、1時までに、しかし、それにも関わらず、教会はその日にタナー夫妻を訴えた。後に双方は合意に至った。 が、教会はこのようにタナー夫妻に嫌がらせをし、本屋をやめさせ、昔のモルモンリーダーたちが言った恥ずかしい言葉を世に出さないようにさせようとした。この訴えについては、次のユーチューブで見ることが出来ます。 Mormon Stories #474: Sandra Tanner Pt 3 - Peep Stones, Polygamy, Thomas Ferguson, Eugene England ●ジェラルドが他界した後も、サンドラは彼の意思を受け継いでいる。 ●Mormon Stories #472: Sandra and Jerald Tanner Part 1 of 4 - The Early Yearsから ジョン・ダーリンからのインタビュー Mormon Stories #473: Sandra Tanner Pt. 2. 1st Vision, Books of Mormon, Abraham, Mark Hofmannから ジョン・ダーリンからのインタビュー からほとんどの記録を取りました。  他にも彼女は多くのユーチューブに出ています。 ●私の感想 サンドラは、死んだ私のおばあちゃんに顔が良く似ているんです。親しみがわきます。 モルモン教会は、彼女を反モルモンと呼びますが、彼女はそれを否定しています。 反モルモンと言う言葉は、人をさげすむ言い方だと。 彼女は、誰も教会に質問しなかった時代に、指導者たちに立ち向かいました。 夫が同じ考えだったのも、支えになったと思います。 サンドラは、彼女とジェラルドが質問した時代、誰も質問しなかったと言います。 質問すると、仕事を首にすると脅されたからです。家族からも捨てられると恐れた人もいました。今でもそれは行われているようですが、昔はもっとひどかったでしょうね。 これはカトリックがやったことと似ています。ユタはモルモンリーダーに支配されていた、カトリックが絶対的な力をふるっていた時代と同じ様に。 カトリック教会から破門されるということは、人として扱ってもらえないくらい、ひどいことだったのです。 ユタのモルモンも同じだったんですね。 サンドラさんの強さと真実を伝えたいとう心意気と、ジェラルドの真実を貫こうとする真剣な姿勢に感心します。お似合いのカップルですね。 教会から言われたようにネットから教会のハンドブックのページを取り除いたのに、教会は彼女たちを訴えた、これは知りませんでした!ひどすぎます! 12使徒たちの愛のない態度に、本当に幻滅しました。               

モルモン教会に裏切られて Betrayed By Mormon Church

モルモン教会でのエピソード、事実を調べ翻訳し、書いています。モルモン教会の教えによって苦しんでいる人を救う目的です。 I am writing about my experiences at the Mormon church. I want to help people who are suffering from Mormon teachings.

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