私がどのようにモルモン教会の真実を知ったのか、お話します
長い間、私はモルモンの指導者たちは正直で、ジョセフ・スミスは神の本当の予言者で、教会が迫害される理由はひとえにこの教会が正しくて、それをねたむ人が嫌がらせをしているのだ、と信じていました。
だって、若い女性や日曜学校でそう習ったんですもの!
初めてモルモン教会に疑問を持った時
初めて教会の真実性について疑問に持ったのは12歳の時です。
日曜学校で一夫多妻について教えられました。 何と、モルモンの男性たちが一度に何人もの妻を持っていた、というのです、 これはいくら何でも嫌でした。
「こんなことありえない!
でも、日曜学校の先生が「神の教えで実行したのです」
と言った時、何とかこれを自分の中で正当化しなければ、と焦りました。
だって、生まれた時から
”この教会は唯一真の教会”
だと教わってきたので、何とか信じなければ、と思った私は、ある、お年寄りの教会の姉妹のことを考えました。
この姉妹は古い会員です。実は、お父さんと一緒にモルモンの讃美歌を日本語に訳した人です。
みんなから尊敬されていたにも関わらず、私のような子供にも優しくしてくれる、偉ぶっていない人でした。だから、こう思いました。
”彼女が信じているんだから、本当に神が命令したことなんだろう”
それに、12歳では夫婦がどうやって子供をつくるのかも知らなかったので、このことは頭の奥の方に追いやってしまったんです。
後になって日曜学校でテキストを読まされた時、
”一夫多妻をしていた人はみんな幸せだった。”
と書いてあったので、それを信じるしかありませんでした。日曜学校で読んだのは、
「・・・私は一夫多妻の家族の中で育ちました。多妻婚のことを批判する人もいますが、おばさんたちも僕のことを我が子の様にかわいがってくれて、妻たちは仲みんああが良く、幸せでした。」
今考えてみれば、これを言った人は12使徒、それも男の子ですよね、母親の本当の気持ちなどわかってないだろうし、12使徒は教会に不利になるようなことは書いたりしないだろうから、当てにならない証言です。でも、このような文章を読ませてあたかも一夫多妻は神聖で、素晴らしいことのように信者に信じさせるのです。モルモンの歴史家たちによると、多妻婚をした多くの女性が不幸だったのです。
宣教師の時、バプテスマの数が少ない、と怒られた
次に教会について疑問を持ったのは、名古屋で宣教師をしていた時です。
私のMTCのグループ
伝道部の全宣教師が集まる集会で、伝道会長がこう言ったんです。
「先月のバプテスマは伝道部全体で2人、たった二人ですよ?あなたたちは一か月間、一体何をしてたんですか?」 私は心の中でこう言っていました。
「何をしてたって、一生懸命伝道してたんじゃない!?」
伝道会長は続けました。
「私は上の指導者から怒られましたよ!たった二人ですよ?もっとできるはずでしょう?」
私はびっくりしました。
「一人教会に入れるのがどんだけ大変か、その指導者は知ってるのか? バプテスマって人の人生を変えること。2人のどこが悪いのよ!」
名古屋伝道部の宣教師全員がクリスマスに集まった
一ノ宮ワードでハロウィーンパーティーとお化け屋敷をした時
バプテスマ会
ゲイの友達との出会い
BYUの独身ワード
聖歌隊
伝道終了後、BYUに戻ってから、私はあるアメリカ人の友達ができました。彼は思いやりのある優しい人でした。そして自分がゲイであることを告白してくれました。 私は言いました。 「でも、ゲイは治るんでしょ?努力すれば克服出来るんでしょ?」 その時彼が言った言葉が次の通りです。 「僕が尊敬する監督がいたんだ。彼は実はゲイだった。でも、一生懸命やめようとして、女性と結婚して子供も出来た。 でも、、苦しくて、苦しくて、又、ゲイに戻ったんだ。彼が出来なかったというのに、どうして僕が出来るというの?」 その時私は悟ったんです。 「自分は間違っていた、こんなに良い人が、どうしてゲイだからって罪人だと言われなきゃいけないの?」 この後、BYUを卒業して、私は日本に帰国します。一人暮らしをし、昔いた、洗足池ワードに戻って来ました。 そこで、高校生の時から知っている、モルモン男性と東京神殿で結婚しました。 結婚してから引っ越し、洗足池ワードから小杉支部に移りました。 ここで子供たちが生まれました。 私は扶助協会の会長やプライマリーの会長、音楽委員などの召しにつきました。 主人はステイクの長老定員会の召しに奉仕しました。 この、小杉支部は、教会委員がお互いにけんかばっかりして、問題の絶えない所でしたあ。でも何かあったら助け合う人たちだったので、私も妊娠中、食事を届けてもらったり、泊まりに行かせてもらったりで助けられました。 子供たちがひどいアトピーになった時も、ある人は日曜日に子供たちを連れて教会へ行ってくれて、私は家で3時間、ぐっすり眠ることが出来ました。この時は主人が出張で大阪へ長い間行ってたので、とても助かりました。
モルモンの友達より、非モルモンの友達の方が親切にしてくれた
この後、私たちは家を買って引っ越し、府中ワードに通い始めました。
しかし、子供たちのアトピーは悪化し、夜中に起きてかきむしり、家族で寝不足になりました。 いろいろな薬を試しましたが、どれも効き目はなく、朝、起きることが非常に辛くなりました。 教会の責任も出来なくなり、とにかく日曜日は 「寝ていたい!」と切に臨むようになりました。 府中ワードの監督からは、「責任がないと居場所がないでしょ?」と、何度も責任を引き受けるようにと言われましたが、今はその余裕がない、と、断り続けました。 家庭訪問教師には、「今は寝られる時に寝たいから、訪問しなくていいから、手紙でいいよ。」と言っているのに、しつこく訪問したい、と迫られ、すごく困りました。 中には、息子の誕生日の為にアレルギー用のケーキを買ってきてくれた優しい姉妹もいましたが、このような人っはマレでっした。でも、この姉妹は本当に親切でした!
また、ある日曜日の朝、子供が少し具合が悪そうなのに教会へ連れて行ったところ、
胸がボコん!ボコん!と鳴って病院へ連れて行ったら即、入院となりました。
喘息を発症してしまったんです。熱心に教会へ連れてったのに、モルモンの神様は助けてくれなかった。
入院したので、他の子を実家に預け、息子の幼稚園の先生だけには状況を説明しました。私は毎日子供に会いに病院へ通いました。すると、息子の友達のお母さんたちから
「お子さん、大丈夫?他の子のこと、いつでも見てあげるから言ってね」
と電話がありました。近所の人たちも、声をかけてくれました。
モルモンの人からは何の連絡もありませんでした。 モルモンの人たちにも親切な人はいます。自分も、いつも人助けばかりしてきました。
モルモンでさえいれば、誰かが助けてくれる、と思っていた伝説が初めて私の中で崩れ始めたのです。
アメリカでの経験ー東京ラッシュ、ジョセフの一夫多妻、メドウ山の虐殺
この後、夫の仕事でニューヨークのロングアイランドへ家族で引っ越しました。
ここでは何と、隣近所はほとんどがユダヤ人でした!
ユダヤ人はイエス様を殺して今でも、イエス様を救い主と認めていない、心の固い人たち、と私は親や教会から教え込まれていました。
しかし、驚いたことに、誰も知らない異国の地に来た私たちに一番良くしてくれたのは、ユダヤ人だったのです!
私たちの周りにいたのは、リフォームド・ジューといって、とても柔軟な考え方のユダヤ人たちです。食べ物の規制もなし、人によってはクリスマスも祝う、ゲイの人を罪びとだと非難しない、プロテスタントよりも柔軟で人を受け入れます。
息子の親友のお母さんがユダヤ人で、よく家に呼んでもらいました。
他には、カトリック、ヒンズー、プレスビトリアン、仏教、いろいろな宗教の人がいて、声をかえてくれました。だんだん、他の宗教の人たちも幸せに暮らしていて良い人たちだ、と気づいたのです。
ユダヤ教
うちの子供たちはどんどん教会から離れていきました。
それでも、私はカブスカウトのリーダーでがんばり、主人も引っ越しや長老定員会の責任で奉仕し、クリスマス会で手作りの影絵を家族で発表し、七面鳥も焼きました。
12使徒全員とモンソン大管長に手紙を書く
アメリカにいた時、私は“東京ラッシュ”について知ります。
何かというと、 1978年から1982年頃に東京南伝道部で行われた、数目当ての伝道活動のことです。以下にその実態を書きます。 ー未成年でも親の許可なしにバプテスマを受けさせた。 ーレッスンは簡素化され、全てを聞いてなくてもバプテスマを受けさせた。 ー知恵の言葉や十分の一などの戒めを教えずにバプテスマを授けることもあった。 ー結果、バプテスマを受けたのち、聖餐会に1度も出席しなかった幽霊会員が続出、 これをオーディットした会員たちはひどい目にあった。 自分の子供たちを勝手にモルモンにしたな!と怒った親たちから怒鳴られた。 ーバプテスマの数を多く報告した宣教師は伝道本部でごちそうをいただいた。 ーバプテスマを多く報告しなかった宣教師は本土へ送り返すぞ、と脅しを受けた。 ー伝道部長はあちこちにアパートを借りて小さな支部を置き、もともとあったワードの書記などを勝手にそちらへ回してしまい、ワードの監督たちは困ってしまった。 ー訳もわからずバプテスマを受けたが、会員名簿に住所を書きたがらない人にはウソの住所を書かせた。 ーある地域では、宣教師たちがお墓に行って墓石に掘ってある3000人分の名前を 会員 名簿に書き、バプテスマをしたことにした。 バプテスマを受けた後で ーこれに反発した会員たちがモルモンの上層部に手紙を書いたが、無視された。 ー学校では先生たちが「モルモンの宣教師は危険なので話をしないように」、と注意した。 ーある、洗足池ワードの監督は、「こんなこと、やめろ!」と宣教師と大喧嘩して、 最後はノイローゼになった。 ー真面目なアメリカ人の宣教師がこれについて親に手紙書いたり、帰国してから抗議 をしたが、当時は伝道ブーム。彼らは非国民扱いを受け、精神的におかしくなる帰 還宣教師が現れた。 ー日本でも、これに激しく反発した人は、強制的に教会の法廷に引きずり出され、 そこで破門を言い渡された。 ーこれはイギリスにも飛び火し、多くのモルモンが傷ついて教会を去った。 これはひどい! 私は、日本の府中ワードの知り合いへメールし、これが真実であることを突きとめ、 この事件を始めた張本人の “70人の菊池長老” に手紙を書きました。なぜ、こんなことが起こったのか、と、聞いたのです。 すると、菊池長老から手紙が来ましたが、そこには、 「そんなことは全く知らない」 と書いてありました。 そこで、今度は当時のことを証する人たちが、私に書いてくれた手紙の内容を書いて送りました。 又、返事がきましたが、内容はこうでした。 「私が言ったことが正しく理解されなくて、誤解をよんだことは認めます。しかし、私は全く悪くありません。数を出そうとする宣教師がいたというのは聞いたことがありますが、私たちはみたまに導かれるままに働いただけです。 それに、多くの成功を見ました。 “ウザ”を知ってますか?エジプトを出たイスラエル人が持ち歩いた“契約の箱”がずり落ちて地面に落ちそうになった時、手で受け止めた人です。 手を出して箱を守ったけれど、神の怒りにふれ、死んだ人です。
反モルモンの記事を初めて読んだ時
私は以前、ネットでモルモン教会が毎年行っている “スピーチコンテスト” を知り、これに反対した団体が、ネットでモルモン教会を批判しているのを読みました。
「モルモンはこのようなプログラムをやめるべきだ。優勝者をユタへ連れて行き、教会へ入れようとしている。その為のコンテストだ、やめるべきだ」 というような内容でした。何でこの人たちは、こんなに怒っているのだろう? と、当時は不思議でしたが、今回の東京ラッシュで、この人たちが、過去に教会から苦しめられた人たちだとわかったんです。 私は、すぐにモンソン大管長と2人の副大管長、並びに12使徒全員に、全部で15人に、手紙を書きました。内容は、以下の通りです。 「30年前、こんなにひどいことが東京で起ったことを知っていますか?菊池長老にこんな返答をいただきましたが、彼はウソつきです。怒っている人たちに、きちんと公に謝罪し、又、こんなひどいことを教会がしたという事実を信者に教えて下さい。教育して下さい。」
すると、ステイク会長が私の家に来て、言いました。 「L・トム・ペリー長老から言われて来ました。彼は東京ラッシュの時代、菊池長老を管理していました。菊池長老がしたことは、本当に悪いことです。お詫びします。」 私は言いました。 「私に謝られてもどうしようもありません。当時、苦しんだ人、破門された人が少しでも教会 への苦い気持ちを和らげることが出来るように、公に謝罪して下さい」 するとステイク会長はこう言いました。
「教会は公に謝罪しません。一度頭に手を置かれて任命された人が、何をしようと、教会の責任ではありません。」
これは納得できませんでした。
小さい子供の頃からプライマリーで、悔い改めなさいと習った私にとって、謝らないのは有り得ませんでした。 何て、無責任で愛がないのでしょう!? これが私が教会の指導者たちを信頼しなくなったきっかけです。
メドウ山の虐殺
ニューヨークで地元の図書館にいた時、ある本を見つけました。そこには、 “メドウ山の虐殺、モルモンの人殺し事件”と書いてありました。 「ウソでしょう?モルモンが人殺しなど、するワケがない!」 私はびっくりしてその本を借り、読んでみました。内容は、 -1857年にアユタ州のメドウ山を非モルモン開拓者たち、140人程が通りかかった。 この140人の中にジョセフ・スミスを殺した人たちがいて、「もしモルモン教徒たちに会ったら皆殺しにしやる」と意気込んでいる、といううわさが流れた。 恐れと怒りからなのか、そこにいたモルモン教徒は、彼らをを襲い、8歳以下の子供たち約 20名を除いた、女・こどもを含む全てを殺したー こんなこと、聞いたことなかったのでショックでした! と同時に、モルモン教徒は正しいがゆえに迫害されたのではいのかも、と思い始めたのです。
ジョセフ・スミスの多妻婚を知る
これらの扶助協会の姉妹たちの多くがジョセフの妻でした。エマはこの事実を知りませんでした 扶助協会は、はじめ、ジョセフの新しい妻をリクルートする為の場所でした。 ニューヨークで、ジョセフ・スミスにたくさんの妻がいたことを知りました。 たまたま、系図を調べていたら、ジョセフの妻たちの名前が出てきたのです。 信じられませんでした! ブリガム・ヤングが多妻婚したのは知ってました。 ただ、多妻婚をしたのは、ほんの一握りの、経済力のある、しかも神から選ばれた、正しい神権者だけだった、と聞いていたからです。 ジョセフ・スミスは裕福ではありませんでした。34人もの妻と、その子供たちを支えることは不可能です。又、彼はあまりにも忙しくて、妻たちの面倒を見ることは出来なかったはずです。しょっちゅう、牢屋に入っていましたしね。 私にとって、これは非常に大きな問題でした。 教会に訪ねると、ジョセフは本当に多妻婚をした、と確認がとれました。 もし、ジョセフの妻たちが神から与えられたなら、彼女たちは何か使命があったはずーそれで、私はニューヨークからユタのモルモンの系図センターへ電話しました。 ジョセフの妻たちについて知りたい、と言うと、 「エマ・スミス以外の妻の情報は全く一つもありません」 でした。驚いて、新しく出来た大きな系図センターへ電話しても、答えは同じです。 これは、あまりにもひどいです。 一夫多妻というのは、最愛の夫を他の女性とシェアする、ということです。 これがどんなことが、私は想像も出来ません。 これをした女性たちは、きっと苦しんだに違いありません。 結婚した私にとって、これは耐えがたいことでした。 実は、教会はこの時、既にジョセフの妻たちの記録をたくさん持っていて、教会の歴史家が本もたくさん出していたことを私は知りませんでした。 でも、どんなおぞましいことが行われたか、より、ジョセフの妻になった女性たちの記録を全く保持してこなかった、という事実が私にはショックでした。 彼女たちを簡単に忘れ去り、尊敬の念や感謝の気持ちを全く示していない、これには 怒りの気持ちが起きました。 こうして、日曜日の集会には、私はモルモン教会に行かなくなりました。 日曜日の集会だけでなく、他の活動にも行けなくなりました。
正直な監督が教えてくれたこと
実は私の監督が良い人で、正直に隠さず、私の質問に答えてくれました。
「僕の先祖は一夫多妻をしていたんだが、一人も幸せではなかった。嫉妬と離婚ばかり。僕はこれが神から来たものとは思わない。この教会は唯一真の教会ではない。」
これにはびっくりしました!
東京ラッシュのことも知っていて、 「僕はあの時、韓国で伝道していたんだ。韓国も菊池の監督下にあって、彼は韓国に来るたびに、
『もっとバプテスマを見れるはずです、もっと、もっと!』とあおぎかけた。彼の話を聞いた求道者たちは、みんな嫌がって教会を去って行ったよ。あれは間違っていた。」
「僕たち宣教師は、携帯バプテスマフォントみたいのを持ち歩いて、いつでも バプテスマが出来るようにしていた。」
自分の先祖の記録を持っている人は、教会が正直でないことをわかっているんです。 それでも、この監督のように正直にそれを話してくれる人もいる。 彼らは、真実を知りたがるモルモン信者にとって、大事な存在です。 私の様に、教会は悪いことしない、変な情報を流す人はみんな悪い人だ、と教育されてきた信者にとって、信頼のおける人は、現役のモルモンだけなのです。 彼らは、こんなにひどい教会の事実を知りながらも教会に残り、多くのモルモン信者が教会を去る助けをしているのだと思います。
モルモンでない教会に行ってみた
日本に帰国して、主人はモルモン教会へ行きましたが、私は行けませんでした。 でも、今まで教会に行かなかったことがなかった私は、どこかに行きたいと思いました。 家の近くに教会があったので、息子と二人で行くことにしました。主人はこれを許してくれました。 息子と一緒にそこへ行くと、結構広い礼拝堂に、20~30人が座っていて、聖書を貸してくれました。 息子は2階で、子供のクラスに参加しました。 ここでは、誰も 「私はこの教会が真実だと知っています。」 とは言わないので、ホッしました。和やかに讃美歌を歌い、牧師さんが聖書を引用してお話しました。すると子供たちが上から降りてきて、さっき描いたという絵、一人一人、説明してくれました。動物の絵でした。 それから、子供のクラスの先生が、 「この動物たちは、みんな神さまが造って下さいました」と言うや否や、 「ほんとかよ?!」と叫んだ子供がいました。 「神さまなんて、ホントにいるのかよ?」と、連発したのです。 驚いたことに、大人たちは笑って見ているだけで、誰一人として、 「黙りなさい」と言わないし、外に連れ出すこともしませんでした。 モルモン教会でこんなことしたら、すぐに外へ出されます。 誰もその子をとがめなかったことに、私は驚き、自由を重んじる所なんだ、と感心しました。 礼拝は1時間ほどで終わり、その後、お茶をしよう、ということで、クッキーと紅茶がでました。これにはカルチャーショックでした!
紅茶ですって!? びっくりしましたねー。だって、モルモンでは、お茶飲んだら天国へ行けないと習うんです。その日、私は早く帰らなくてはいけなくてお茶はしなかったんですけど、
「お茶飲んでもいいじゃない? この人たち、悪い人じゃないし。」
と思いました。息子はとても楽しかったようで、なかなか帰りません。
そして言うには、
「僕、この教会に行ってもいい?」
「いいけど、、、ここじゃなくてもいいのよ。それに、ママがいつも来れるかわからないし。」
「じゃ、僕一人で来てもいい?教会がこんなに楽しいなんで、思わなかったんだ」
と言われて、びっくりしましたね。
それからしばらく私と息子はこのプロテスタントの教会に集いました。私の夫はモルモン教会に行ってました。
父親から脅され、自殺を考える
私はモルモン教会の教えには反対でしたが、クリスマス会とか、ハロウィーンパーティーにはお手伝いするつもりでした。十分の一も払い、ガーメントも着ていました。
唯一真の教会ではないと思いましたが、どの宗教も同じだ、良いこともやっているのだから、精一杯奉仕奉仕しよう、と思いました。主人も府中ワード集っていましたし。
まだ、この頃は、モルモン教会が非常に悪いことを現在もやっている事実を知らなったのでした。
ジョセフ・スミスがどんなにひどい悪人だったのかも知りません。
しかし、父親には自分が違う教会に行っていることを正直に電話で話したんです。
すると、父は、
「他の教会だと!?お前はサタンの影響を受けているんだ!孫をたぶらかしやがって!そうせ、人間関係だろ、お前の夫は何してるんだ!電話してやるからな!!」
と、ものすごいけんまくで怒鳴りました。
ずーっと悪態をつき続ける父に、私は一言だけ、聞くことが出来ました。
「お父さんは、私が他の教会に行って幸せなのと、モルモン教会に行って不幸せなのと、どっちが良いの?」
「そんなの決まってるよ、モルモンだけが唯一真なんだ、モルモン教会に行くのが当たり前だ!」
私は、こんなに悲しくて、恐ろしくて、情けなかったことはありません。今でも、あの時のことを思い出して怒りがこみ上げてきます。
私は電話を切った後、怖くて震えが止まりませんでした。
父が我が家に電話攻撃してくるのを恐れ、私はモルモン教会へ戻りました。
実はこの時、福島の地震でたくさんの人が津波で亡くなったばかりでした。
それなのに、聖餐会で、あるモルモン信者が言ったんです。
「今がチャンスです!愛する人を亡くして苦しんでいる多くの人たちに、伝道しましょう!」
ー今がチャンス?1万人以上の人が死んだことが、チャンスだというの?ー
もう、限界でした。部屋を出て、一人で3階に上がってぼ~と時間を過ごすこともありました。偽善者になった気がしました。とても不幸でした。最後は、教会に行かなくなりました。
私が教会に行っていないことが父親に知れたらどうしよう?
怖くて怖くて、電話が鳴るたびに、父からではないか、と心臓がボコんボコんと鳴り響き、息が止まりそうになりました。あのプロテスタントの教会には、迷惑がかかると悪いので、行くのをあきらめました。父親がここを突き止めて、怒鳴りこんだりしたら大変ですから。
伝道部長(アメリカ人)に電話して助けを求めましたが、
「そんな親子のことに私は巻き込まれたくないね」とはっきり断られました。
ステイク会長に電話したら?と言われたので、そうしたら、
「今のあなたのお父さんを止められる人はいないでしょう。お祈りして神様に助けを求めて下さい。」
みたいなことを言われました。
府中ワードに、父より年上で、長くモルモンをやってる K兄弟 がいます。
彼に助けて下さい、と頼んだら、
「君は心にあることを閉まっておけないタイプのようだね。家族は神聖だ。それを他人にぺらぺらしゃべるのは間違っている。君のお父さんは人の為にいろいろと尽くしてきたんだ、悪口言うのはやめなさい」
というようなことを言われました。
これで私は、自分が悪いのかと思いました。父のことを悪く言うのも嫌だったし、こんな母親なら、子供にとってもいない方が良いのかも、主人はもっと信仰の強い女性と再婚した方が良いのかも、と思いました。
「死んだら楽なんだろうなー」
と思う様になり、半年くらい経った時、私は自殺することに決めました。
家に帰ったら薬を飲むこと、遺書を書くこと(内容は決まってました)にして、私は川のほとりをゆっくりと歩いていました。
そして市役所の前を通りかかった時、何かを感じたんです。
以前、市役所で、無料のカウンセリングがある、と聞いたことがありました。
私は、市役所に入って行って、カウンセリングを申し込みました。
カウンセリングで、私は、全てを話しました。
すると、初めて 「あなたは何も悪くないですよ、息子さんももう中学生です。宗教は自由ですよ。」と言ってもらえたのです。
これを聞いて、私は何とホッとしたことか!でも、まだ父が怖かった。
カウンセリングの人は、こう言いました。
「警察に届けを出しましょう。」
私はためらいました。自分の父を警察に通報する等、思ってもみなかったからです。
しかし、 「あなたと家族を守る為です、大事なことです。」
と言われ、早速最寄りの警察に電話して届け出を出しました。父親の住所と電話番号名前を教えました。自分の情報も。
「お父さんの家の近くもパトロールしますから、安心してください。もし、あなたに何かあったら、まず、お父さんを疑います。もう大丈夫ですよ。」
父親に 「警察に手紙を書いたから、もう、私に連絡してこないで。 もししたら、 警察につかまるよ。」
と手紙を書いたら、もう、電話が来なくなりました。
こうして、私は何か月かぶりに、やっと父の魔の手から逃れることが出来ました。
もう、死ななくていいんだ!自由になった気がしました。
ところが、その後1年間、死んでればよかった、と思ったこともありました。
怒りが、恐れにとって代わったのです。教会に裏切られたことが、35年間信じてきた果てに、虫けらの様に捨てられたことが、許せなかったのです。
EX-モルモンとの出会い
こうして、モルモン教会への苦々しい気持ちを抱くことに苦しんでいたころ、私は EXモルモンと呼ばれる、元信者の情報に巡り合いました。
教会から破門されたり、自分からやめた人たちが、せきららと自分の経験を語っているものです。
ユーチューブで “ex―mormons”(エックス・モルモン)と書くと、たくさんの、モルモンをやめた人が出てきます。 そのほとんどが、私のように、教会に疑問を抱き、質問したり、真実を本に書いたら破門された、という人でした。 「私と同じだ!」 彼らの話を片っ端から聞いた私は、うなづいたり、涙を流したり、本当に共感できました!みんな、何も悪くないのに、教会から意地悪されたのです! 同じ境遇にいた人がいるんですね。 「みんな、問題があるのは僕たちではない、僕は真実を語っているんだ!」 と、ある歴史家がいうのを聞いて、本当に慰められました!
グラント・パーマー:
モルモンの歴史家。教会の本当の歴史を書いたが為に
ディスフェローシップされた。
幸せになった私
息子が言うには、教会に行ってた頃の私は、怒ってばかりいたそうです。
思えば、バリバリのモルモンの時は、心に平安というものがありませんでした。
特に一夫多妻には、長い事苦しめられました。
「もし私が先に死んで、主人が再婚したら、私は天国で彼をもう一人の女性とシェアしなければならない、そんなの、絶対に嫌だ!」
でも、そう思うのって、自分勝手なことなんだろうか?
と、自分を責めました。死ぬのか怖くなりましたね。苦しかったです、本当に。
他にも、
「子供たちがもし、神殿結婚しなかったらどうしよう?」
「主人が最近、仕事が忙しくて教会に来ていない。子供たちの為に、彼と離婚してもっと信仰の強い人と再婚するべきだろうか?」
と、心配ばかり。
今は、子供たちの結婚相手が、誠実な人であれば良い、と思えます。
夫や私が違うことを信じていようと、愛し合っていれば、一緒になれると思います。
モルモン教会で楽しかった思い出はいっぱいありますし、幸せに感じたこともありました。
でもそれは、他の宗教でも、宗教に関係ない所でも得ることが出来ます。
モルモンの洗脳から開放され、やっと心の平安をえることが出来ました。
今、私はガーメントを脱いで、十分の一も払うのをやめて、お茶もコーヒーも飲んでます。日曜日は、家族でゆっくりして、遊びに行ったりします。
とても幸せです。
十分の一を払う必要もないので、以前の様にめちゃくちゃ働く必要もなく、心に余裕が出来ました。子供たちと会話する時間が多くなりました。
人を裁くことも少なくなりました。
お寺や神社に行ってお金をチャリン、と入れてお参りしています。
宗教を一つの文化として敬い、楽しんでいます。強制されることなく、自然に。
どの宗教も良い面と悪い面がある。
唯一真の宗教など、存在しない。
もし、神様がいるとしたら、お互いに良いところをもらい合って自分たちを高めていけるかどうかを見ているのではないか、と思う今日この頃です。
そして、モルモン教会で苦しんでいる人の為に、教会が隠してきた事実をここで紹介していこうと思います。どうか、悩んでいる人がいたら読んで参考にして下さい。
30年前の私の家族。洗足池ワードにて。
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